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東京地方裁判所 平成元年(ワ)12122号 判決

原告

白土一郎

右訴訟代理人弁護士

赤木巍

被告

小久保亮一

右訴訟代理人弁護士

篠原みち子

主文

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録一記載の建物を収去して同目録三記載の土地を明け渡し、かつ、平成元年一〇月一日から右明渡済みに至るまで一か月当たり八五〇〇円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨の判決を求める。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二  当事者の主張

一  原告の請求の原因

1  (本件使用貸借契約の締結)

原告(大正四年一月一日生れ)は、昭和六〇年一〇月一二日、その長女道子(以下「道子」という。)の夫である被告に対して、原告の所有する別紙物件目録二記載の土地(以下「本件原告所有地」という。)のうちの同目録三記載の土地(以下「本件使用借地」という。)を宅地として無償で使用させることを約して引き渡し(この使用貸借契約を以下「本件使用貸借契約」という。)、被告は、これに基づいて、昭和六一年三月、本件使用借地に別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)を建築して、これを所有している。

2  (本件使用貸借契約の終了)

原告は、長女道子、二女朋子及び三女久美子がそれぞれ婚姻して別に所帯を持つようになって以来、妻ヨシカ(大正九年一二月二八日生れ)とともに、本件原告所有地に所在する木造瓦葺二階建居宅(以下「本件原告居宅」という。)に居住していたが、原告夫婦の老後の面倒を被告夫婦にみて貰うために、やがては本件原告所有地及び本件原告居宅を道子に相続させることにするとともに、本件原告居宅と同一の敷地内の本件使用借地に被告の居宅を建築させ被告夫婦を居住させることを目的として、被告との間において、本件使用貸借契約を締結したものである。

ところが、道子は、本件建物完成直前の昭和六一年一月頃、直腸癌に罹患していることが判明し、入院治療等を繰り返した末、昭和六二年六月二日に死亡するに至った。そして、遺された被告は、同年九月三日に長男の真哉(昭和五〇年四月九日生れ)とともに突然本件建物から現住所に転居して、それ以来本件建物には居住しておらず、また、昭和六三年六月二九日に挙式し同年八月一六日に婚姻の届出をして、山口弘子と再婚するに至った。被告は、この間、原告に対して、真哉の面倒をみることを原告夫婦に押し付けようとしたり、不当に高額な代金で本件建物を原告に買い取らせようとするなど、無責任又は常軌を逸した言動等をとり、これによって原、被告間の信頼関係は完全に破壊されて、もはや原告夫婦が被告に老後の面倒をみて貰うことは不可能となった。

そこで、原告は、平成元年九月三〇日に送達された本件訴状によって、被告に対して、本件使用貸借契約を解約する旨の意思表示をした。

3  (結論)

よって、原告は、被告に対して、本件建物を収去しての本件使用借地の明渡し及び本件使用貸借契約の終了の日の翌日である平成元年一〇月一日から右明渡済みに至るまで一か月当たり八五〇〇円の割合による本件使用借地の賃料相当額の損害金の支払を求める。

二  請求原因事実に対する被告の認否

1  請求原因1(本件使用貸借契約の締結)の事実は、認める。

2  同2(本件使用貸借契約の終了)前段の事実は、認める。

もっとも、本件使用貸借契約の目的は、被告夫婦が一方的に原告夫婦の老後の面倒をみるということに尽きるものではなく、被告が本件使用借地に本件建物を建築してそこに居住し、原告夫婦と被告の家族とが同一敷地内で親族として互いに助け合うことにあったものである。したがって、被告は、本件建物の存在する限り、又は、本件建物の使用をなすに足りるべき期間を経過するまで、本件使用借地を使用することができるものである。

同項中段の事実中、原、被告間の信頼関係が被告の言動等によって破壊されたことは否認し、その余の事実は認める。

原告夫婦は、道子の死亡後、真哉の面倒を一切みなくなるなどして、被告を本件建物から転居せざるを得ない状況に追い込み、被告が本件建物に再入居することも頑強に拒否して、原告自らが原、被告間の信頼関係を破壊したものである。被告は、自ら好んで本件建物から転居したものではないのであって、未だ本件建物の使用をなすに足るべき期間は経過していない。

同項後段の事実は、認める。

3  同3(結論)の主張のうち、本件使用借地の賃料相当額が一か月当たり八五〇〇円であることを争う。

三  被告の抗弁

被告は、転勤の可能性等を考慮して、当初は本件使用借地を借り受けてそこに建物を建築し居住することには反対であったが、原告夫婦及び道子の希望を容れ原告の申し入れに応じて、やむなく本件使用貸借契約を締結し、勤務先から財形住宅貸金を借り受けたり財形貯蓄を取り崩すなどして一七七四万円余を投じて本件建物を建築したものである。

ところが、原告夫婦は、前記のとおり、道子が死亡して自分の思い通りに面倒をみて貰う可能性がなくなるや、真哉の面倒を一切みなくなった。そこで、被告は、実家の母や姉妹に真哉の面倒をみて貰うべく、実家近くの現住所に転居さぜるを得ない状況に追い込まれた。また、原告は、被告が本件建物に再入居するのを拒否するなどした。原告は、このように、自ら原、被告間の信頼関係を破壊したものであって、これらの事情に照らすと、原告のした本件使用貸借契約の解約は、権利の濫用であって、許されない。

四  抗弁事実に対する原告の認否

抗弁前段の事実は知らない。

同後段の事実中、原告が被告が本件建物に再入居することを拒否したことは認め、その余の事実は否認する。

被告は、道子の死亡直後から原告に本件建物の買取方を求めるなどし、その頃から本件建物から転居することを意図していたものである。

第三  証拠関係 〈省略〉

理由

一原告(大正四年一月一月生れ)が昭和六〇年一〇月一二日妻ヨシカ(昭和九年一二月二八日生れ)とともに居住していた本件原告居宅の敷地である本件原告所有地の一部の本件使用借地につき長女道子の夫である被告との間において本件使用貸借契約を締結し、被告が昭和六一年三月本件使用借地に本件建物を建築して、これを所有していることは、いずれも当事者間に争いがない。

二ところで、民法五九七条二項は、使用貸借契約の当事者が目的物の返還時期を定めなかったが、使用収益の目的は定めたという場合においては、借主は、契約において定められた目的に従って使用収益を終了したときに目的物を返還すべく(本文)、そうでないときにおいても、借主は、使用収益をするに足りる期間を経過し、貸主の返還請求(解約)があったときには直ちに目的物を返還すべきもの(但書)と定めているが、右但書の趣旨は、契約締結後の事情の変更により、契約で定められた使用収益の目的の達成が不能となった場合や、契約の基礎又は前提となった当事者間の信頼関係が破壊されるなどして貸主が借主に対して目的物を無償で使用させるべき実質的な理由が欠けるに至ったような場合にも、類推適用すべきものと解するのが相当である。

また、右にいわゆる使用収益の目的とは、使用貸借契約の無償契約性に鑑みて、建物の使用貸借における居住目的あるいは宅地の使用貸借における建物所有目的といった一般的、抽象的な使用、収益の態様ないし方法を意味するものではなく、当事者が当該契約を締結することによって実現しようとした個別的、具体的な動機ないし目的をいうものと解すべきである。

三これを本件についてみるに、先ず、事実欄摘示の当事者間に争いがない事実に〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨を併せて判断すると、次のような事実を認めることができる。

1  原告は、六五歳頃まで会社員として勤務した後、妻ヨシカとともに本件原告居宅に居住し、厚生年金を受給して生計を維持していて、妻ヨシカともども健常で、未だおよそ他人の介護を必要とする状態ではなく、また、経済的な援助を必要ともしていなかったが、長女道子、二女朋子及び三女久美子がそれぞれ婚姻して別に所帯を持ち別居していて、他に身寄りもなかったところから、その三人の子のいずれかに本件原告居宅及び相当の資産価値のある本件原告所有地を相続させるとともに、その者の家族と同居して原告夫婦の老後の面倒をみて貰いたいと考えるようになり、三人の子にその旨を申し入れていた。

2  被告は、当時、道子及び長男真哉(昭和五〇年四月九日生れ)とともに、勤務先の東京都内の社宅に居住していて、当初は原告の右申し入れに応じることには反対であったものの、道子の強い希望を容れてこれに応じることとし、本件原告所有地の一部の本件使用借地に本件原告居宅と接して相互に往来できるような構造の居宅を建築してそこに居住することとし、昭和六〇年一〇月一二日、原告との間において、本件使用借地を宅地として無償で使用することの合意をして、本件使用貸借契約を締結した。

3  これに基づいて、原告は、昭和六〇年一一月頃、一部平家建一部二階建であった本件原告居宅のうち平家建部分を取り壊し、被告は、昭和六一年三月、その跡地である本件使用借地に本件建物を完成した。

被告は、本件建物の建築費用として、勤務先から財形住宅貸金を借り受けたり財形貯蓄を取り崩すなどして捻出した一七七四万円余を出捐した。

4  ところが、本件建物完成直前の昭和六一年一月頃、道子が直腸癌に罹患していることが判明し、入院治療を受けて一旦は症状の改善をみ、同年五月頃には退院したものの、同年一一月頃再び病状が悪化し、自宅療養、入院治療を経た上、昭和六二年六月二日に死亡した。

この間、原告夫婦と被告は、道子の治療方針をめぐっての意見の相違等を来たし、相互に不信を招くようなことがあったが、いずれも悪意に出たものではなかった。

5  被告は、道子の死亡直後頃、原告に対して、今後の真哉の面倒をみてくれるように依頼し、また、本件建物の買取方を求めるなどしたが、原告夫婦は、被告が本件建物から出奔して真哉の面倒をみることを一切原告夫婦に委ねてしまう意図ではないかと疑い、また、老齢の身で真哉の養護を引き受けることは責任が重大すぎるとしてこれを断るなどし、道子の入院中における程には真哉の日常的な世話をしなくなった。

そこで、被告は、実家の母や姉妹あるいは家政婦を依頼して、真哉の面倒をみさせるなどしたが、昭和六二年九月三日、勤務先の特別の計らいによって、実家に近い現住所の社宅に真哉とともに転居した。もっとも、被告は、原告にはその前日になって初めてこれを告げたにとどまった。

また、被告は、昭和六三年六月二九日に挙式し同年八月一六日に婚姻の届出をして、山口弘子と再婚するに至ったが、原告には挙式の二、三日前にこれを手紙で通知したにとどまった。

原告夫婦と被告は、以上のような経過の中で、一層不信感を募らせて、感情的な離反が顕著となった。

6  被告は、平成元年二月、原告を相手方として、横浜家庭裁判所に家事調停の申立を行い、本件建物の原告への売渡しについて調停が行われたが、代金額について調整が付かず、不調となった。また、原告は、同年六月、被告を相手方として、東京家庭裁判所に家事調停の申立を行い、再度本件建物の原告への売渡しについて調停が行われたが、前回同様に代金額について調整が付かず、不調となった。

この間、被告は、本件建物に再入居しようとする動きを見せたため、原告は、被告に対して、本件建物に入居することがないように通告する旨の書面を送付するなどした。

7  このようにして、原告夫妻と被告との間においては、既に信頼関係は破壊され、原告夫妻が本件原告居宅に居住し、被告及びその家族が本件建物に入居して、相互に援助し合いがながら平穏に生活していくことができるような基盤は既に失われてしまっている。

四以上のような事実関係の下において、原告が本件訴状によってした本件使用貸借契約の解約の適否について検討すると、そもそも本件使用貸借契約においては、原告と被告とが契約当事者となってはいるものの、前記のような契約締結の事情に照らすと、当事者が本件使用貸借契約を締結した基本的な動機ないし目的は、単に被告に一定の期間にわたって本件使用借地を無償で使用させること自体にあるというよりは、原告において本件原告所有地及び本件原告居宅を長女の道子に相続させ跡を継がせることを前提として、あらかじめ被告及びその家族が原告夫婦と同一敷地内に居住し、原告夫婦の老後の面倒をみるなど、親族として相互に援助し合うということにあったことが明らかである。

ところが、当事者の意図した右のような目的は、道子の病死という不幸な事態によって遂に果たすことができなくなったものである。そして、遺された被告と原告夫婦は、いずれか一方の責めに帰すべき事由によるものというよりは、右のような不幸な事態に直面しての互いに相手の立場を思いやる配慮に欠けた言動の積み重ねによって相互に不信を募らせ、既にその間の信頼関係は破壊されてしまっているのであって、このような状況下においては、被告が真哉や妻弘子とともに本件建物に入居し、原告夫婦と相互に援助し合うということもおよそ期待し難いものといわなければならない。

以上のような事情に照らすと、当事者が本件使用貸借契約によって実現しようとした目的の到達は不能となったか又はその基礎若しくは前提となった当事者間の信頼関係は既に破壊され、原告が被告に対して本件使用借地を無償で使用させるべき実質的な理由はなくなったものというべきであるから、民法五九七条二項但書の規定を類推適用して、本件使用貸借契約は、原告のした前記の解約の意思表示によって、終了したものというべきである。

これによって、被告は、本件建物を建築するために出捐した費用等につき不測の損失を被ることにはなるけれども、これについては別途本件建物の原告との円満な売却交渉等によって解決を図るべきものであって、右の一事をもって直ちに原告のした本件使用貸借契約の解約が権利の濫用に当たるものということはできない。そして、他には本件使用貸借契約の解約が権利の濫用に当たることを肯認するに足りる事情を見い出すこともできないから、被告の抗弁は失当である。

五以上によれば、被告は、原告に対して、本件建物を収去して本件使用借地を明け渡すべき義務があり、また、本件使用貸借契約終了の日の翌日である平成元年一〇月一日から右明渡済みに至るまで本件使用借地の賃料相当額の損害金(それが一が月当たり八五〇〇円を下回らないことは、弁論の全趣旨に徴して明らかである。)を支払うべきことになるから、原告の本訴請求はこれを認容することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官村上敬一)

別紙物件目録〈省略〉

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